排泄 というものから見えてくるもの
こんにちは!ハッチホーム株式会社の杉山なつみです
わたしたち人間が毎日欠かさず行っているもの 「排泄」
おしっこしたい!とかウンチしたい!とか、そんな緊急事態の時に、ここから1時間待ってくださいと言われたらどうでしょう
家族で出かけた先が大きな公園 その公園にトイレがなかったらどうでしょう
飲食店に行ってお料理はおいしいのに、トイレがすごく汚れていたらそのお店のことをどう思うでしょう
私たちは「排泄」という行為をあまりにも当たり前に、そして不自由なく行っています
私たちは。
ですが、自分の仕事を通して感じることは、その当たり前が当たり前ではないという方が大勢いるという事
弊社ハッチホームは一般のリフォームの他、介護保険を使った住宅改修をしています
住宅改修の依頼がくる時点で、そのお家になんらかのSOSがあるわけで。
そのSOSに潜んでいる大きな悩みに排泄があります
何に悩んでいるのかはその家族それぞれ
ほとんどが介助側からの相談
排泄になやんでいるご本人からは滅多に直接相談はありません
考えたらすぐに分かることですが、排泄とはその人の尊厳にかかわること。
そして多くの問題は
・下着がうまく下げられない
・おしっこでトイレが汚れてしまう
・トイレの場所が分からなくなる
この外には
立ち上がりが出来ない、座る時に持つところが欲しい、便座が高い、など。
これらの問題なら大抵はトイレ空間の工夫でどうにかなります
手すり一つにしても、例えば角度を考えてみたり、長さ、位置など。
決して「教科書通り」が正しいのではない。その人の動きというのは教科書では分からないから。
一人ひとり、これまで積み重ねてきた習慣があります それは生まれてから今に至るまで誰一人として同じ人はいなくて。「ある程度」こうだよね、というのはあるかもしれないけれど、「ある程度」で手すりは付けられない
それでも、時には難しい時もあるけれど、出来る限りその人の意向を本人が思う以上にこちらが汲み取り、
「この人はどんな事が出来るのか?目の前のことが全てなのか?」という常識のタガを外してみることが大事、だと私は思っています
可能性とは、見えないところにある。それは本人でさえ分からないことも多い。
その隠れている可能性を引き出すお手伝いが私はしたいのです
ある講義での言葉が印象的です
「排泄行為ができれば大抵の生活は自立できる」と。
まだまだ排泄について知らないことばかり
人の話を聞いて、本を読んでいくと
「私なんかが排せつを学んでいる、と言っていいのか。。。」と、専門知識の差から思う事もあるのです
だけど、今のところ建築会社でここまで排泄に夢中になっている人間はいない
トイレがあるのは建物の中。介護をするのも建物の中
個人宅であれ病院であれ、施設であれ、公共の場であれ、すべては人が生活をする空間。
その空間をどう工夫できるかは、医療の専門職では難しいでしょう
医療専門職が手すりの施工ができるのか
医療専門職がブラケットの種類をどれだけ知っているのか
手すりメーカー、手すりの種類、道具の使い方、施工期間、下地探し、
手すり一本とっても、その太さや色、長さ、特徴は様々
こっちの知識と排泄の知識が合わされば素晴らしい
どこまで自分が排泄を学ぶのかははっきり分からないけれど、一つ言えるのが、学べば学ぶほど人との繋がりが増えてくるということ
上に行けばいくほど、排泄について私が知りたい情報の質が上がる
ここが私が排泄を学ぶ理由なのかもしれないと最近思う
もちろん自分自身、排泄について基礎的なところを学ばないと質問も出来ないのでそれもあるのですが、私は建築会社。 排泄を学んで排泄の悩みを解決したい、というよりは、排泄から見えるその人の悩みを解決したいのが正しいのかもしれない
まだまだ「これ」といった答えが自分の中にあるわけではないんだけれど、
排泄に対して体が勝手に動いてしまう
これが、言葉や理屈でなく、私が学ぶ 学んでしまう今。
人が生活する中で困っていることがあればその困りごとを解決するのが私たち建築。
追及するのが好きなんですよね、わたしは。


